マーケティング

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ここ数日、丸源らーめんのCMを
見る機会が多く、一度喰ってみよう
という気になった。
CMの効果でお店は混雑してるかと
思いきや、ガラガラの閑古鳥。
店員さんは入り口のドアを開けて
くれたり、元気も良くてGood!
でも、味が飽きられちゃったかな。
初めて来店した私が、食べる前に
何となく味の予想ができた。
これが閑古鳥の原因ではないかと。
でも、美味しいけどね!

ポルシェビル

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温故知新。
新しい物もいいですが、古い物も
侘びていていいですね。
ポルシェビルに来て、旧式のポルシェ
を見ると、昔読んだサーキットの狼を
思い出します。

銀座クラブ

私のポリシーは、同じ会社から2度仕事を受けないことだ。
同じ会社と複数回取引することで、馴れ合いや甘えが生まれ、
いい仕事が継続してできないと思っている。
経営的には間違いなのかもしれないが、いい仕事に拘りたい
から、こんごも続けていくつもりだ。
だが、ある一社だけはこちらから継続して取引をしたい。
私と同じスタンスで仕事を発注してくれるクライアントだ。
担当のXとは、毎週銀座クラブで情報交換をしている。
銀座クラブで情報を交換するのは、セキュリティが高いからだ。
接客をする女性は全てプロだし、会員制なのである程度
客層も絞られるからだ。
今日もこれから銀座に繰り出す予定だ、

脊柱管狭窄症

脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)をご存知だろうか。
脊柱を通る神経を周りの組織が圧迫して痛みを伴う疾患である。
一昨日の晩、日本にいる姉からメールが入った。
父親が脊柱管狭窄症で大変なことになっているとのこと。
できればすぐにでも帰国して看病して欲しいという内容だったが、
生憎納期の迫った大事な仕事が年明けまで詰まっており、
今は身動きが取れない。
身動きが取れないのは、脊柱管狭窄症の父親も同じか。
父親には心から感謝している。できる事であれば自家用ジェット
で日本に帰りたい。そして、父親の力になりたい。
今は、我慢するしかない。

ロメスパ

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サラリーマンでロメスパが好きな人は多いと思う。有名店のランチタイムは行列ができるから。
写真は日本橋にできたharapeco。
美味しかったよ~。

銀座個室

3年ぶりの日本。
次世代エネルギーの研究開発でロシアに3年滞在。
エネルギー政策に関する両国の覚書は合意に達したが、
メドベーチェフの北方領土訪問はロシアでも賛否両論だ。
穏健派は地図を引っ張り出し、歴史と合わせて北方四島が
日本の領土であることを熱く語る。
日本人にとってはうれしい話だが、外から日本を見ていると
毎年、首相と外務大臣が変わっていたら交渉すらする気に
ならない。これがロシアの本音だろう。
この問題はさておき、いま日本にとってエネルギー政策は
喫緊の課題だ。同期の外務省官僚、大蔵官僚と銀座個室
で会食をした。
できれば銀座個室ではなく、飯倉片町あたりのひっそりとした
お店にしたかったのだが、このあたりの機微を官僚に
求めても苦であろうか。
銀座個室では、かえって目立ってしまうのである。

佐野ラーメン

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佐野アウトレットに行った時は、必ず寄って来るお店がここ、精養軒。
豚肉が美味しい。
麺は自家製なので太さがバラバラで、異なる食感でこれまた旨い。
ぜひ、御賞味あれ!

あと何度桜を見る事ができるのか。
この問いに答えられる人はいない。
ニューヨークの路上生活者の中で、
盲目の老人がいた。
この老人が手にしていたボードには
「目が見えないのでお恵みください」
と書かれていたが、誰も見向きも
しなかった。
ある日、ある男性がボードに書かれて
いた文字を許可なく書きかえた。
男性は世も末だと思っていたが、
彼が書き直してから沢山の人が、
お金や衣服、食事を恵んでくれた。

ボードには、私は目が見えません。
春が来ても桜を見る事が出来ません。
と書かれていた。

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銀座クラブ

銀座、赤坂、六本木。
接待店舗が数ある中で、あまりメディアに登場しないお勧め店舗を発見するなら、
銀座の”クラブチック“。

今日はその中の名店、ひら井をご紹介します。
電通通りにあるホテル日航東京の裏手、うどんで有名な木屋のビル5階です。
ここのお勧めは、日本料理(和食、お肉も出る)を食べながら、フロアの女性が
同席してお酌してくれたり、料理を取り分けてくれたり、おしゃべりの相手をして
くれたりと、楽しい時間をすごすことができます。
女性は全員スーツなので、いやらしい雰囲気もなく、女性スタッフは業界ズレ
していない、本当に気の利くOLさんと飲んでいる雰囲気で楽しめます。
ここまでなぜ推すかというと、私が昔勤めていた会社が近くにあり、
電通通りの8丁目のガラス張りのビル(昔事件起こした)の、元社長がここに
来ていたからです!ほんとにびっくりしました。
お金余ってんだろうな~、明らかに常連という待遇を受けていました。
ただ、随分お歳を召されていて、おじいちゃんになっていました。
当時はメディアに随分たたかれ、それなりに有名人だった人が、こんなにも
おじいちゃんになったか、と寂しい気持ちも持ちました。

追悼

東日本大震災から丸一年。

私が最も忘れてはならないことは、世界中から支援を頂いたことだ。
極東の島国で起きた大震災、近くて最も遠い国、同盟国、
さまざまな距離感を持って世界の中で生きている日本国。
日本国もまた、世界に生かされていると考えるきっかけになった。
天皇陛下のお言葉、内閣総理大臣野田良彦の式辞、
ともに心に刺さる内容であった。
この震災でお亡くなりになった方々全ての方に、哀悼の気持ちを
込めてご冥福をお祈り致します。
また、避難生活を余儀なくされている方々の1日も早い復興を
心からお祈りいたしております。